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この一年間の自分の創作活動で感じたことのまとめです。
とても個人的な感想なので、あんま面白くないと思いますが。

<1月、2月>
・「赤目のおろく」を書く。
・「静岡文学マルシエ」に参加。

 昨年10月のテキレボで同人デビューし、すっかりこの世界にはまってしまいまして、テキレボの翌日に「静岡文学マルシェ」に参加申し込みをしました。
 そして、その後11月~1月の間に「赤目のおろく」を執筆。静マルに間に合わせることができました。今まで1万字前後の短編しか書いたことのなかった私にとっては、4万字の小説はかなり達成感がありました。
 また、製本にあたり同人活動歴の長い友人にフォトショの使い方を教えてもらい、その後の同人活動に大変役に立ちました。

おろく

「赤目のおろく」はいろんな意味で「自分」が出てしまっているので読み返す度に恥ずかしい思いをするのですが、今年の同人活動はこの本と一緒にいろんなイベントを巡ったので、結果的にとても思い入れの深い作品となりました。
 自分の作品を読み直すのは苦手なタイプなのですが、イベントが近づく度になんとか頑張って読み返しています。
 もし「赤目のおろく」をネットの投稿サイトにアップしていただけなら、私の性格だと、そのまま放置して読み返す機会はなかったと思います。
 本として手元にあり、それをイベントで誰かに手渡す。手渡すものだから、大切な思いと一緒にお渡ししたいから読み返す。
 こうした一連の流れから「自分の物語と真剣に向き合う」ということが初めて出来たような気がします。
 そして、ツイッターでも何度も呟いておりますが、今現在「赤目のおろく」の続編を執筆中です。「赤目のおろく」の執筆から一年、再び、自分の物語の中で英太郎や左之吉やお辰と出会えることに幸せを感じています。・・・・・・ちゃんと書き上げなくては。

<3~7月>
・スランプ期
・イベントにたくさん出る。
・ディズニー二次創作短編集「夢の音がきこえる」を製本。

 この期間、「赤目のおろく」に続いてまた長めの話を書いてやろうとして二作ほど執筆半ばでボツにしました。
 その一方で、ムーランの二次創作を二作ほど書き、そのうちの一作(「剣の記憶」)を過去のディズニー系の二次創作小説と合わせて短編集「夢の音がきこえる」をつくりました。
 私が小説を書き始めたきっかけがディズニー作品の二次創作ということもあり、この本も大変思い入れが深いです。

yumenohyousi3.jpg


 イベントは、テキレボ5(4月)、文フリ岩手(6月)、妖怪卸河岸(7月)、あまぶん(8月)に出ました。イベントの参加にだんだん慣れてきたり、顔なじみの方も増えてきたりでとにかく楽しかったです。

<8月>
・「うつろ祭りの海」をテキレボ公式アンソロに提出。

 アンソロテーマ「祭」に沿ったお話がなかなか考えつかず、一時はアンソロ参加は見送ろうかと思っていましたが、なんとか「うつろ祭りの海」を書けたことでスランプ期を脱せたように思います。
 ツイッター等で感想をたくさんいただけたこともモチベーションの追い風になりました。

<9月>
・「椿の海に眠れ」を執筆。

 hyousitubaki.jpg

「うつろ祭りの海」で「書く感覚」を掴めた気がしたので、その勢いに乗って書き上げた作品です。
 短いお話ですが「怪異を書く」ということを純粋に楽しめた作品でした。

<9~10月>
・「手児奈し思ほゆ」を執筆。

 テキレボ6の有志企画で「幼なじみ片思いMAP」をやることになったので、自分も幼なじみ片思い作品を書こうとしたのが執筆のきっかけです。結局テキレボには間に合わず、書き上げたのはテキレボの翌日でした。
「うつろ祭りの海」は虚ろ舟伝承を、「椿の海に眠れ」は千葉県東総地方に江戸時代まで存在した「椿の海」という湖にまつわる伝説を元にしていますが、「手児奈し思ほゆ」も千葉県市川市真間の手児奈伝説に基づいた物語です。
 伝説を下敷きにしている、という点で、私の中では「うつろ祭りの海」、「椿の海に眠れ」、「手児奈し思ほゆ」はなんとなくセットの三部作ってことになっています。

「手児奈し思ほゆ」はとても陰惨な物語です。手児奈伝説そのものが悲劇の美少女の悲しいお話なので、どうしてもダークな話にならざるを得ないのですが、書いていてほんとーに辛かったです。
 しかし、そんな辛い「手児奈し思ほゆ」の執筆を通して、私は「フィクションで悲劇を書く」ということに改めて向き合った気がします。
 ハッピーエンドの物語には、ハッピーエンドであることについての「理由」は要りません。登場人物が紆余曲折を経て幸せになることは作者も読者も嬉しいものでしょうから。
 でも、あえて「登場人物を不幸にする」という展開には、明確な理由、必然性が必要だと思います。なぜ彼らは、彼女らはこんなに悲しい目に遭わなくてはならないのか? それに対する明確な答えと覚悟を持った上で「悲劇」というものは書かれなくてはならない。「悲しい結末の方がストーリー的に映えるから」という理由で書くことは絶対にしたくない、と思いました。
 結果的に「手児奈し思ほゆ」という作品は「フィクションで悲劇を書く」ということに対する私なりのアンサーになったような気がします。

sample.jpg


「手児奈し思ほゆ」には、ひなたまりさんが美しいイラストの表紙を創ってくださいました。文フリ京都ではこちらの新装版を頒布しますのでお楽しみに!

<11~12月>

 上述したように「赤目のおろく」の続編のプロットをいじくり回したり書き始めたりしています。でも、改めて振り返ると、この二ヶ月大して書いていないし、書き上げた作品もないですね。不安になってきました。
 今年のスランプ期のこともあるので、長編を進めつつも短編小説はコンスタントに書いていったほうがよいかなぁと思ったりします。長編小説には憧れがありますが、今の時点ではやはり短編寄りの思考回路です。
 ネット上にもいろいろと短編向けのノベルコンテストがあったりするので、そういうのをモチベーションにして書いていけたらよいかも。

 今年一年、手探りながら同人活動をやってきて「スタンスが定まっている」「ブレない」との評をいただくことが何度かありました。
 自分では意識していないのですが、思い返してみると私が小説を書く時には「自分の文法」のようなものが私の中に存在していて、書きたいものがあっても「自分の文法」に沿わせた形にできないとどうしても書き上げられないんですよね。スランプ期にボツ作品が出てしまったのは、書きたいテーマを「自分の文法」にうまく合わせることができなかったからだと思います。
 逆をいうと、完成して他の方に読んでもらえる形にできた小説は全て「自分の文法」に沿って書かれたものなので、そのあたりを「ブレない」と言っていただけているのかなぁ、と。

「自分の文法」て自分で言っててめちゃくちゃ意味分からない言葉なんですが、ひざのうらはやお氏が提唱する「ごうがふかいな」と近似の概念なのかもしれません。

 以上、まとまりないですが、今年のまとめでした!
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